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坂本龍一さんのこと

2023年1月の高橋幸宏さんに続いて届いた訃報に、驚きと悲しみの声がたくさんきこえてくる。

坂本龍一といえば、私にとっては、「札幌国際芸術祭2014」のゲストディレクターとしての存在が大きい。2013年に、札幌コンサートホールKitara大ホールでコンサートを聴いた。坂本龍一のピアノを生で聴いたのは、このときが最初で最後だった。あのときは、芸術祭になれば、またコンサートに行けるだろうと思っていた。しかし、芸術祭の開幕直前に、中咽頭がんであることが発表され、たしか開催中に札幌に来ることがなくなってしまった。そのときから、10年あまりがんと闘われたことになる。

札幌国際芸術祭では、ひょんなことから、「コロガル公園 in ネイチャー」のメディアディレクションを担当することになったので、私も芸術祭のスタッフの一員だった。プロジェクトの打ち上げで、坂本龍一さん直筆サイン入りのTシャツをいただいた。

芸術祭のゲストディレクターとは、名前だけではなく、相当綿密に多くのプロジェクトに関わり、精力的に活動されていたことを関係者から伺った。坂本龍一は、芸術家でありアクティビストである。さらに、目配りのできる優れたディレクターでもあった。

いつか作曲された曲をピアノで弾いてみたい。ときどき練習しているが、まだまだ私には早すぎるようだ。

ご冥福をお祈りします。

(491文字・15分)

室井尚さんのこと

あれは、横浜トリエンナーレ2001のすこし前のことだったとおもう。美学者の室井尚さんの集中講義をIAMASで受講した。

室井さんは横浜トリエンナーレの参加アーティストとして、横浜のランドマークのひとつ、インターコンチネンタルホテルに巨大なバッタのバルーンを壁に貼りつけるという(椿昇+室井尚《インセクト・ワールド 飛蝗(ひこう)》2001)。資金調達が追いついていないから、みんなからの募金を募るといっていた。いま振りかえれば、クラウドファンディングのようなものだ。彼は、あかぬけたビルにバッタをつけるという奇抜なアイディアに全力で、作品の企画と実現にかける並々ならぬ情熱を感じた。

授業は、横浜トリエンナーレつながりで、現代美術の話題がおおかったようにおもう。いまも記憶に残っている言葉がある。こんな感じだった。

「現代美術の世界では、超有名なアーティストばかりが活躍し、流行の作家で入れ替わり立ち替わり登場する。まるでポップミュージックのヒットチャートのようじゃないか」

それに続けて、「それでいいのか。美術とはそのようなものでいいはずがないだろう。資本主義の波に飲み込まれたものは、もう美術ではないのではないか」──と、こんなことまでおっしゃっていた気がする。(20年以上まえのことで記憶があいまいだ)

ときは変わって、2022年3月。吉岡洋さんの退職記念トークイベントにオンラインで参加した。ゲストで登壇した室井尚さんの言葉がやはり記憶に残っている。とにかく吉岡さんをほめまくるのだ。「吉岡さんは、みんながおもっているよりもずっとすごいんだ」。学生時代の出会いのエピソードから、後輩の吉岡さんを尊敬していることがよくわかる。面前でこれほどほめる人をはじめてみた。強い友情を感じた。

直接の面識はないけれど、いつも大きな熱意を感じた方だった。ご冥福をおいのりします。(700字・20分)

余計なお世話の日

子のメガネをつくりに、眼鏡店へ処方箋をもって家族で出かけた。

その店は、地域に古くからある眼鏡専門店だ。眼科医によれば保証が長くおすすめらしい。Googleマップの口コミでは、接客が丁寧だとずいぶん評判がよい。

たしかに丁寧な接客だった。物腰の柔らかい初老の店員は、あれこれ試す私たちを辛抱づよく見まもっていた。商品を決めたら、カウンターへ案内された。そこで説明を受けたのが、眼鏡店ではお決まりの、レンズのバリエーションの紹介とグレードアップの勧めだ。ベーシックなものが8,000円台で、次に安い非球面・UVカットレンズは16,000円台だった。最高グレードは3万円台だったかな。差額の大きい価格表だった。

まだ度は強くないのでベーシックのレンズにする。店員は、やや意外そうな顔を見せて、妙な間を空ける。「度数変更の保証はついていますけど、同じグレードのレンズにしか交換できませんよ」と釘を刺してくる。かまわない。店員は、内ポケットから小さな電卓をとりだし、紙片にフレームとレンズの価格の合計を書きこんだ。そして、眼科医の処方箋持参の割引として、それなりに大きい金額が引かれる。合計31,800円。割引メニューは明示されていないので、算定の根拠がわからない。定価があってないような世界だ。

眼鏡の仕上がりは数日後になるという。急いではいないので、来週末に引き取りに来ることにした。ここで、若手の店員がわざとらしく割り込んできた。

「もしかして、お急ぎですか。いま調べたところ、ひとつ上のグレードのレンズはちょうど在庫がありました。それでよければ、30分でお作りできますので、この場でお持ち帰りいただけますよ。お値段は、割引して35,000円にさせていただきます」

もちろん断った。なんという白々しいウソで固めたセールストークをするのだろう。そもそも、私たちは急いでいないのに、余計なお世話だ。この店はこんな不誠実な手を使ってまで客単価を上げたいのかと驚いた。客を騙すようなあこぎなことをする店とは思っていなかったので、余計に裏切られたような気分になる。割引額も明朗ではなく、不信感が増す。店内で怒りの声をあげそうになったが、他の客もいるので口をつぐんだ。気分的にはキャンセルしたいが、もう注文した後なのであきらめた。

店を出てから、妻にそのことをいうと、いまからキャンセルするといって店に電話してくれた。電話をとった店員は、理由も訊かずにキャンセルを受け入れたという。妻はこんなことを言う。

「あなたの思ったことは正しいから、店内で反論すればよかったんじゃない?」

結局、チェーンメガネ店で、3分の1の値段のメガネを即日つくってもらった。こちらの接客も丁寧だった。

さて、これも同じ日の出来事である。家族で、ちょっとした観光地を訪ねた。道中で、父親と2歳くらいの小さな女の子にすれちがった。女の子は、歩きながら大きな串団子をほおばっていた。妻は、「幼児割りばし死亡事件」を思い出し、女の子の父親に近づいて、くれぐれも注意してほしいとわざわざ言っていた。

妻は、見て見ぬふりはできなかったようで、「わたしも、ついにおせっかいおばさんになってしまったわ」と笑う。彼女の行動も眼鏡店の店員とおなじく、余計なお世話だったかもしれない。しかし妻の忠告は正直な正義感によるもので、嘘偽りはない。女の子の父親にも感謝されたようなのでよかった。
(1302文字・29分)

工藤強勝さんのこと

グラフィックデザイナーの工藤強勝さんは、わたしにとっては雲の上の存在だ。数々の装幀された本やデザイン雑誌を通じて、その名前は私の頭に刻まれていた。

2015年の夏、北海道で工藤強勝さんにお会いする機会にめぐまれた。均整のとれたタイポグラフィの印象から、ストイックで気難しい方だろうと緊張した。ところが、お話すると、まったく気さくで陽気な人だった。もちろん仕事に対しては厳しいだろうが、オフのときまで同じとはかぎらない。わずかな時間で、そのギャップとお人柄にすっかり魅了された。

当時すでに退職されていた首都大学東京のことをうかがった。それから、工藤強勝さんのご子息と、大学院のゼミで一緒だったことがわかり、ふたりとも驚いた。2019年の秋に、わたしが首都大学東京に異動することになるとは、その頃にはまったく予想もしていなかった。

またお会いしたい方でした。ご冥福をおいのりします。合掌。(400字・17分)

木下斉,2015,『稼ぐまちが地方を変える 誰も言わなかった10の鉄則』NHK出版.
[ISBN: 9784140884607]

本書は、経営的な視点でまちを経営するという、民間中心で取り組む「まちづくり」を提唱する。

はじめに著者は、「まちづくり」の原体験を振りかえる。高校在学中から早稲田商店会の活動に参加し、全国の商店街が出資した会社の社長になる。しかし業績は伸びず、株主の要望は多くうまくいかず挫折する。学生時代に視察したアメリカでは、不動産オーナーが「自分の資産価値を高めるため」に地域に投資をしていたり、地域の親たちが小学校の校庭づくりを手伝っていたりする。こうした経験から、経営視点からまちづくりに再び挑戦することになったという。

著者が携わった熊本城東マネジメントなどの実践事例が紹介される。熊本では、事業ゴミ回収業者の契約にまとめてコストを引き下げた。コスト削減分の一部を地域に投資に回しているという。著者が提案するまちづくりは明快だ。当事者が、自分の責任で、小さくはじめればよいのだと。たしかに経営的な視点ではもっともなことなのに、こうしたことが「まちづくり」だと、あまり意識されていなかったということだろう。

本書のもう一つの軸は、行政、補助金に対する痛烈な批判だ。行政や補助金に頼った「まちづくり」がはびこっていて、うまくいっていない現状はたしかにあるだろう。しかし事業のスケールによっては、行政や補助金も有効な場面もあるのではないか。だが本書では、行政や役人憎しの言葉がちりばめられていて、やや閉口した。とはいえ、本書を読んで勇気づけられて、自分のまちづくりをはじめる人もいるだろう。わたしは不動産オーナーではないので、その役割では経営的なまちの出資者にはなれないが、住民としては何ができるだろうか。(804文字・20分)