劇作家の悲鳴

新型コロナウイルス感染症の影響で劇場が閉まり公演が中止になった。この事態を受けた劇作家たちの発言が物議をかもしている。非難したい人びとが失言に乗じて火をつけるので、炎上しているように見える。

小さな劇団は零細産業であり悲鳴をあげるのは当然だ。しかし他業種と比較をしながら窮状を訴えたことで反発をくらった。「小演劇はスポーツイベントとは規模が違う」、「製造業のように増産できない」。比較された側も大きな被害を受けているので、このような言い回しは妥当ではなかった。

ただ彼ら自身がふだんから社会的に不遇な立場に置かれているとかんがえているからこそ、そうした言動にむすびついてしまったのではないか(人文系研究者の怨嗟の声に似たものを感じる)。ただ、彼らの言い方に不適当だった部分はあったからといって、悲鳴をあげること自体を封じようとしたり、人格を批判しようとする動きは許されない。

ある劇作家が過去に政策に介入したことを批判した記事をよんだ。みずからの業界に利益を誘導するロビー活動はどの業界でもあるはずだ。「お肉券」の構図とそう変わりはない。もし舞台芸術だけに手厚い支援が実現していたとしても、劇作家ひとりの問題ではなく、バランスのとれた政策に落とし込めなかった政治家の責任だ。

ところで、ロビー活動の面のバランスはどうなのだろう。芸術家のロビー活動が演劇に偏っているかどうかはよく知らない。政治にアクセスする芸術関係者が幅広い分野にまたがったほうがよいのは確かだ。そういえば文化庁長官は工芸家だが……。

(646字・30分)

「詩的な計算」って何? SFPC集中ワークショップに参加して

この投稿は、potariにも掲載しています。

「SFPC Summer 2019 in Yamaguchi」に参加し、いろいろな衝撃を受けたことをまとめておきたく、アート情報サイト「potari」に記事を書きました。幅ひろい人に読んでもらえるように、テクノロジーや人物などの固有名詞にはふれていません。1年ぶりの記事が、またYCAMの話題でした。


2019年9月4日から11日まで、山口情報芸術センター[YCAM]で集中ワークショップ「SFPC Summer 2019 in Yamaguchi」が開催されました。SFPCとは、ニューヨークでアーティストたちが設立した小さな学校の名前です。この学校では10週間のカリキュラムを提供していて、コンピュータを用いた表現方法を学ぶことができます。このユニークな教育プログラムはひろく知られ、日本をふくむ各国から受講生が集まっています。そのSFPCが米国外ではじめて開催すると知って参加を申し込んだところ。幸運にもこの集中ワークショップに参加することができました。

SFPCの正式名称は「School for Poetic Computation」。「ポエティック・コンピュテーションのための学校」という奇妙な名前です。ポエティック・コンピュテーションを日本語にすれば「詩的な計算」と言えばいいでしょうか。いったい何なのかとても気になります。ところがワークショップに参加しても答えはありませんでした。この学校ではポエティック・コンピュテーションが何かを定義しないというのです。つまり、このキーワードが気になったら、一人ひとりが探究すればよいのでした。

ただ、ワークショップを通じて「詩的な計算」がしめしている方向性は見えてきました。詩的というのは、商業的で実務的な活動に対するアンチテーゼだということです。詩をかくことは、効率化や収益を求める経済活動とはほど遠いきわめて個人的な創造活動です。コンピュータを用いた表現といえば、ゲームや広告、デザインといった、いわゆる「クリエイティブ」と呼ばれる業界が思い浮かびます。しかし本来のクリエイティブとはもっと自由な行為で、経済的業界の枠内におさまるものではないはずです。今回のワークショップのテーマは、「ギフトとしてのテクノロジー」を考えることでした。コンピュータを用いた表現でも、他人を思いやったり絆を深めるようなものをつくれるはずという信念がこめられています。

ワークショップに参加した生徒20人は、できるだけ多様なバックグラウンドの人が集まるように選考されています。年代や職業、性別はもちろん、出身国もさまざま。日本、中国、韓国、タイ、オーストラリア、カタール、スイスなど、幅広い地域から集まりました。最初のオリエンテーションでは、わたしたち生徒はそれぞれ違うところからやってきた「文化大使」であり、アーティストであると説明されます。お互いの違いを尊重し、ともに学ぶコミュニティの成員としてふるまうことの大切さをしっかり意識づけられる導入でした。

およそ1週間のプログラムには、SFPCとYCAMの講師陣による授業がみっしりつまっています。授業のテーマは、電子工作、プログラミング、ゲームデザイン、折り紙、バイオテクノロジー、即興ダンスなどさまざまです。どれもスキルを得るための授業ではなく、手や身体を動かしながら考えさせるものばかりでした。1日の終わりには、生徒と講師、スタッフみんなでご飯を一緒にたべます(ファミリーディナー)。週末は遠足にでかけて、多くの時間をともにしながら自然と心地よいコミュニティができあがります。最終日のファイナル・プレゼンテーションでは、生徒一人ひとりがワークショップをふりかえり、詩的なプロジェクトやパフォーマンスなどをお披露目し、来場者と意見を交わして終了しました。

このところプログラミングを学べる教室があちこちにできています。プログラミング教育が台頭している背景には、コンピュータを理解することが仕事を得る上で不可欠だとする実利的な思惑が見え隠れします。しかし「詩的な計算」を掲げるSFPCのように、コンピュータを用いた表現の可能性や社会との関係を根本から考えられるところはほとんどありません。

大学教育にかかわるわたしにとって、生徒になってSFPCに飛びこんだことはおおきな収穫でした。SFPCは既存の教育制度の枠外にある私塾的な学校だからできることかもしれませんが、安心できる自律的な学びの場が実現していました。SFPCの講師陣はつねに穏やかな笑顔で授業を進行し、生徒の活動を全面的にサポートしてくれます。もちろん生徒同士も助けあいます。ここでは、生徒が評価や競争への不安にさいなまれたり、心理的重圧にさらされることがありません。日ごろの教育現場に比べるとまぶしいくらいのユートピアでした。ここでは教育方法の根幹に、他者への信頼や寛大な精神が宿っていることがひしひしと伝わってきます。今回の参加経験が、これからの自分の活動に影響することは間違いありません。SFPCの教育方法や思想は、わたしだけでなく生徒それぞれのホームグラウンドを通じて着実にひろがっていくはずです。

今回のワークショップを企画したYCAMでは、評価がさだまらない実験的取り組みをたくさん実施しています。いつも面白いプログラムが開催されていますので、見に行くことをおすすめします。最後に、このすばらしい機会を実現し、全体を通じてきめ細かくサポートしていただいたYCAMスタッフのみなさんに深く感謝します。

撮影:竹久直樹
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

北京の暑い一日

団体旅行で中国に来ている。

北京上空の景色は、機内中央の席にいて、映画(A Star Is Born)に没入していたので、見えなかった。地上から見た空は、やや黄色がかった白色で霞んでいる。空港でやや息苦しさとのどの痛みを感じたので、あわててマスクを着けのど飴を口にする。乾いた空気でなんとなく粉っぽい。ただ、おそれていたほどの大気汚染はなさそうだ。ときおり青空ものぞいている。ガイドさんによると、北京で走るバイクはすべて電動、ストーブの練炭は禁止、近郊の工場も閉鎖され、大気環境はずいぶん改善しているそうだ。

北京中心部の散策時間に、同行している方々と天安門広場に行ってみる。広場は監視カメラだらけ。警官も多数立っている。天安門広場に行くときは、名札を外すようにと、ガイドさんが忠告する。順路が指定されていて、集団で一気に広場に入ることができないようになっている。広場に入るには、セキュリティチェックがあり、パスポートか身分証のチェックと荷物の検査を通す。門から紫禁城方面に入ると一方通行で戻ることができない。徹底的に環境が管理されている。毛沢東の肖像画とともに記念写真を撮るだけで踵をかえした。

きょうは、今年はじめての最高気温37度か38度の日だそうで、とても暑い。湿度は低く、風が吹いていたので、何とかしのげた。つきさすような日差しで熱中症になりそうだったので、スターバックスに逃げ込む。現金をまったく持ってきていないけれど、WeChat Payで支払うことができた。事前に、羽田空港のポケットチェンジでチャージしておいた分だ。米ドル、台湾ドル、日本円からそれぞれチャージすることができた。為替レートも悪くない。

SIMロックフリースマホに事前に挿しておいた香港のSIMカードは、入国と同時に無事アクティベートしたので、GoogleやFacebookなど普段どおりに使うことができた。ホテルのWiFiにつなぐと金盾に阻まれ、GoogleやFacebookにはつながらない。VyprVPNを経由してみたら、ほどなくWiFiが切れた。この方法ではうまくつながらないのかもしれない。

追記:翌朝早く、香港サーバ経由にしたら変えたらつながった。いろいろ試すとよいのかもしれない。

そのデザインはテイストではないか

デザインということばは、誤解にあふれている。

よくある誤解は、デザインを装飾だと考えること。きれいな飾り付けをほどこすことがデザインだと信じている。この立場からは、色や形など余計な要素を足すのがデザイナーの仕事だといえる。

つぎにある誤解は、デザインをテイストだと考えること。テイストとは味わい、趣味、趣向のことだ。かっこいいセンスと言いかえることができるかもしれない。素敵なデザイン、かわいいデザイン、クールなデザインといった形容は、だいたいテイストのことをいっている。

デザインをテイストだと考えると、趣味の世界に入ってしまう。特定の時代の潮流や、あるデザイナーの作風が好き、というように。デザインをテイストで語ると、主観的な好き嫌いの影響を受け、語り手の狭い了見で評価をくだすことになる。

デザインとは、そんな小さな範囲の問題ではないのだ。本来、テイスト云々よりも基底にある、よりロジックな設計や思想を指す。

しかしデザインという語は、テイストと同義でつかうほうが世に受けるためか、この誤解はまだまだとけそうにない。

(466文字・10分)

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ドラマ「シリコンバレー」が面白い

Amazon Videoで何気なく見てしまったドラマ「シリコンバレー」が面白い。現時点でシリーズ2の途中まで見ている。

ITスタートアップと巨大企業の対立を描く。さえない主人公と、その仲間のキャラクターが濃い。とくに気に入っている人物が、ギルフォイル。自身の技術力に自信をもつ不遜なハッカーだ。こういう顔つきの人、ほんとによくいる!という感じ。IT業界のことを知っていれば、笑えるネタがたくさんちりばめられている。基本的にコメディで内容はとても下品。こどもには見せられない(R15)。

アメリカのドラマの面白さは、テンポのよさにある。CPSが異常に高い。CPSというのは、いま作った造語で、Cost per secondの略。1秒当たりの予算だ。短いシーンにも惜しげもなく予算をかけている。これが日本のドラマだと、たとえ脚本が面白くても、低いCPSにとどめるために、ぜいたくなシーンでも長く使うことで、間延びしてしまうのだ。

毎回のオチを振りかえると、多くはだれかにとって気まずい場面だ。面目がつぶれる、きまりの悪いシーン。人間のメンツやプライドを皮肉り、くすりと笑わせるネタから、プロットを組み立てているのかもしれない。

このドラマは、メディア技術史の教材ビデオとしても使える。主人公率いるパイドパイパー社の圧縮技術は非常にすぐれているものの、普及させるには幾重もの障壁が立ちはだかる。新技術の普及は、決して優れた技術が自然に選択された結果ではなく、社会的に構成されていく。「シリコンバレー」は、そのことを面白おかしく描いているからだ。

ただし下品すぎて、授業で見せることはできない。

(688文字・14分)

シリコンバレー:シーズン1 (字幕版)

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Silicon Valley
https://www.imdb.com/title/tt2575988/