某日、新大阪から東京へ新幹線に乗車した。前日の寝不足を補おうと車窓のカーテンを閉めて一眠りした。うつらうつらしていたら、名古屋駅に着いたようだった。
通路に女性が立っている。私を冷たく見て、「私、窓側の席なんですけど!」と告げてくるではないか。小さな声と視線に深い怒りがこもっている。どうやら私が座席を間違えて座ってしまったらしい。このところ、自分の記憶力にはまったく自信がないので、窓側と通路側を間違って座ったのだと理解した。即座に席をはなれ、「すみません。たいへん失礼しました」と謝った。
女性は窓側の席に座り、私はその隣の通路側の席に移った。女性は怒りがおさまらない様子だ。隣あって座るのはじつに気まずいが、しかたがない。女性はスマホに向かって何かメッセージを書いている。「私の席がとられてた!」とか送っているのかもしれない。
それから、私がラップトップを取り出してひと仕事していたら、女性が話しかけてきた。「あの、席を間違えていたのは私でした」。ということは、わたしは正しく窓側の席に座っていたということらしい。女性は通路側だったのか。それなら正しくは席を交替する必要がある。でも窓側にこだわることもない。私は、「いえ、このままの席でよいですよ」と寛大な気持ちを示した。
ところが女性はいそいそと席を離れ、逃げるように前方の窓側の席へと移っていった。女性の正しい座席は、前方の窓側席だったのだ。私の正しい座席は、最初に座っていた窓側席だった。
席を間違っていたのは私ではなく、女性だったのだ。数十分間つづいた突然の緊張状態は突然ほどけた。