村上隆,2010,『芸術闘争論』幻冬舎.

本書は、村上隆がニコニコ動画で生放送した内容をもとにした『芸術起業論』のパート2にあたる。『芸術起業論』は本棚にあるが読んでいないかもしれない。編集は穂原俊二と河村信。ブックデザインは鈴木成一と鈴木貴子(鈴木成一デザイン室)。

村上は、若者に世界のアートシーンで活躍する方法を教える。講義録のようなものなので話題はあれこれ飛び、体系的なまとまりはない。自作の制作プロセスの解説は興味深いが残念なことに図版がモノクロだった。

彼が強調するのは、アートというのはグローバルな市場におけるゲームであるということだ。ゲームにはルールがあり、そのルールさえ理解して「傾向と対策」をほどこせば世界で活躍できるという。一方、日本の美術大学の教育を批判し、貧乏で自由であることを正義とする日本の「自由神話」を徹底的に叩きのめす。

村上は、アーティストを目指す若者をロウアートのクリエイティブに恵まれない落ちこぼれだという。海外の美術大学は批評を中心としたディスカッションで進むが技術がない。その代わり、日本の予備校教育は一定の技術レベルに引き上げるノウハウをもっている。だから予備校の生徒に「傾向と対策」をほどこし、世界にデビューさせる試みをおこなっているという。ちなみにアーティストとしてサバイブする方法は、信用を増やすといったしごく常識的なものだった。

美大の目指す「自由」というのは無軌道な「自由」であり、その無重力状態を洗脳しているので学生は行き場がないのです。ただ、学生ももともとが「才能のない落ちこぼれ」ですから「苦労は嫌」「考えるの嫌」というのもある。なのに意外とみんなカッコつけていて、下積みは嫌いで理屈をひねり出すんです。それで、使い道のないような人間がどんどん量産されている。予備校で勉強している時はみんな一生懸命で、大学に入りたての頃は学生は希望をもっているわけです。けれども、いつの間にか、「自由神話」によって何の役にも立たない、ただのボンクラになって卒業したらもう一回、専門学校に行き直したりして3DCGのアニメーターになったりする現状があります。(pp.211–2)

村上が批判する美術大学教育の惨状はわからなくもない。内省的、私小説的な作品が不当に高く評価される異様なところもあるだろう。ただ、ダメな学生もいれば、したたかな学生もいる。美術大学では教えてもらえることなんてほとんどない。大学で獲得できるのは、教員を含むネットワークと設備だろう。ある美術家は、大学で学ぶことはないと早々に割り切って、技術職員を通じて技術を獲得することに集中していたと振りかえっていた。

この本を読むと、アーティスト(あくまで村上隆が定義するところのだが)ってつまらないなと感じる。文脈を複数にするとか、話題をマルチプルにするとか、一芸にとどまらずメディアを変えるとか、そういったノウハウは、たしかに「傾向と対策」だろうが、どれも小手先の技術に見えてしまう。アーティストが抱えている問題意識ってそんなに浅かったのか。彼らの作品や言葉は、こんな策略のもとで世に出ていたのだとすれば、ひどくがっかりする。

「自由神話」の否定はよくわかるのだけれど、ここまで評価経済を意識して立ち振るまうのなら、アートもビジネスや文化人の業界と変わらないということだ。それはそれで振り切っていてすがすがしくはある。しかしこの舞台は、あくまで村上隆や世界のトップアーティストたち(の多く?)によって演じられている特殊な世界だと突きはなし、本書を相対化しておくことも必要だ。

徹底的にリアリストな村上がヘンリー・ダーガーにたびたび言及しているのがおかしい。アートシーンすら意識していないダーガーが気になるのは、意図的なノウハウだけでは割り切れないものがあるからだろう。アートは、世界の景気動向と密接にむすびついた、きわめて資本主義的な世界だ。だから村上のような打算的なアーティストたちがしのぎを削っている。その舞台の裏側では、だれからもスポットライトがあてられないダーガーのようなアートに心を打たれることがあり、アートが更新されることもあるかもしれない。そんなことを期待してしまうのは、現実離れだろうか。

(1734文字・41分)

芸術闘争論

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村上隆,2018,『芸術闘争論』幻冬舎文庫.

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石田英敬・東浩紀,2019,『新記号論 脳とメディアが出会うとき』ゲンロン.

本書は、ゲンロンカフェでの3回の連続講義を文字に起こし、石田の補論をつけたもの。石田英敬の講義に東浩紀が合いの手をいれる。二人はたがいに敬意をもっていて、流れはスムーズ。基本的に予定されていた講義なので、緊迫した対立や脱線はない。ほめ合うやりとりが多いのには、やや戸惑った。構成は斉藤哲哉。装幀は水戸部功。本文デザインは加藤賢策(LABORATORIES)。

思想家の名前が数多く登場する。表紙にあがっている名前だけでも、フッサール、ドゥアンヌ、ライプニッツ、フロイト、スピノザ、ダマシオ、パース、デリダ、タルド、ドゥルーズ=ガタリなどなど。これらの思想をすべて読破するのはむずかしい。一般的な読者としては、講義を通して彼らの思想を遠くから眺めるしかない。

石田が繰り返しのべている主張を乱暴にまとめると、次のようになる。廃れてしまった記号論は、20世紀前半までのアナログメディアを対象としていて20世紀後半のデジタルメディアをつかみきれていない。現在の人文科学者は、現在のメディアの状況や科学の知見を取り込み、人文知をアップデートすべきである。石田は、「グラマトロジー(文字学)を現代的な問題にこたえられるように一般化する」という。

第1回目に登場する、視覚認知科学者マーク・チャンギージーの発見は面白かった。文字の基本要素と自然のなかで事物を見分けるパターンは類似していて、登場頻度も一致するという。へえと関心したが、動物の認知コストを節約する観点で考えれば、そうなるのがいちばんの近道なので当然のような気もする。

かつての思想家は、いまでいう文理を越境していたのに、いつのまにか別れてしまった。学生運動や社会運動にすこし言及している部分など、もっと聞いてみたいところはあったが、トピックが広範囲にちらばっていて、わたしにはつかみきれなかった。石田の単著でまとまってよめるのかもしれない。

「はじめに」で東は、現在の文系は旗色が悪くバカにされていると嘆く。文系の学者がプレゼンを軽視しているからバカに見えるのだと。東はゲンロンカフェでそうしたイメージを払拭しようとしている。この講義で刺激を受け人文学に入りこむ人が増えるかどうかはわからないけれど、ゲンロンカフェのような試みはとても興味深い。この講義には70名もの受講者が集まったとか。本書も重版するほど売れているようだ。

一方で、わたしにはこの講義の水準はむずかしかった。東京以外の都市で、はたしてこのような催事が成立するだろうか。さいきん、科学コミュニケーション、科学コミュニケーターの活動をよく耳にする。これらが対象としているのは自然科学であり、人文科学は入っていない。しかし、人文科学のコミュニケーションも潜在的に求められているのではないか。海外のサイエンスライターが、文理を横断した魅力的な本を書いて、ベストセラーになっているのがなによりの証拠だ。

思想をかみくだき、現実に即して解説してくれ、議論にいざなってくれる。そんな職能をもつプロフェッショナルは人文学の研究者がになうべきか、あるいは専門のコミュニケーターにまかせるべきなのか。そんなことを考えた。

(1269文字・43分)

講義の映像はvimeoでレンタルまたは購入できる。

チャンギージーの論文はここで読める。

https://www.changizi.com/uploads/8/3/4/4/83445868/junction.pdf

チャンギージーの邦訳本は品切れのよう。

ひとの目、驚異の進化: 4つの凄い視覚能力があるわけ

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新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)

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西内啓,2013,『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社.

この本はまったくおすすめできない。読後感が最悪だった。端的にいうと、筆者の書きぶりが下品で口が悪すぎる。

タイトルの根拠を「統計学的に」示してくれたらあっぱれだが、そうではない。他の学問を引き合いに出すことなく、統計学だけがすぐれていると主張するだけだった。

統計学が素人のわたしには、筆者の説明が、丁寧さを欠き、煽り気味で、あぶなっかしい印象しか受けなかった。筆者はコンサルのようなので、この本を営業ツールにしているのだろうが、こんなコンサルには頼みたくない。

117ページ。「科学とは白衣を着て怪しげな機械や薬品をいじくることではなく、正しいことを最大限謙虚に、そして大胆に掘り下げようとする姿勢であると私は思っている。」とわざわざ太字で書いてある。そうですか。なんの根拠もなく科学者の道具を「怪しげな」という印象で批判するんですね。白衣を着た科学者を敵に回しましたね。

145ページには、タバコに関する疫学研究に反論する人を非難するために、6行のあいだに「バカ」が3回も登場する。はい、喫煙者を敵に回しましたね。

第6章では、統計学の6つの分野(社会調査、疫学、心理学、データマイニング、テキストマイニング、計量経済学)を紹介し、それぞれの違いを説明しようとしているのだけれども、いちいちそれぞれの研究者を見下した態度が鼻につく。全方位に敵をつくっている文章にしかおもえない。

この本のおかげで、「統計家」とは我田引水で悪辣な人たちであるという、とんでもないバッドイメージを広めてしまったとおもう。世のまともな統計家はきっとお怒りにちがいない。

口直しに別の本をよむことにする。

(699文字)

統計学が最強の学問である

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『エンデの遺言──根源からお金を問うこと』

これは、経済学のことはなにもわからない人間のメモです。

「地域通貨」ということばをはじめて理解したのは、IAMASでの桂英史さんの授業だった。それまで地域通貨とは、特定の地域のみで流通する通貨や商品券のようなものだろうと漠然としか理解していなかった。ところが地域通貨とは、国家が管理する貨幣とは別の体系をもった貨幣のことを指していて、そこには一定の思想性を帯びていることをはじめて知ったのだ。

いや正確には、こうした取り組みを知っていたが関心をもたなかったのだろう。なぜなら、このことを世に知らせたドキュメンタリー番組をたしかに観た記憶があるからだ。

その番組は、『エンデの遺言──根源からお金を問う』(NHK、1999年)。『はてしない物語』や『モモ』を書いたドイツの作家ミヒャエル・エンデが、「お金」について考えていて、お金を問い直す国際会議の開催を呼びかけていたという。放映当時、エンデはすでに亡くなっている。この番組では、生前のエンデに取材した音声テープを出発点に、世界のオルタナティブな通貨システムを紹介している。

放映後、番組制作者らによる同名の書籍が刊行されている。しばらく前から持っていたが、しっかり読み通したのははじめてかもしれない。

エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)
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地域通貨の思想的な始祖として、ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルの名があげられている。ゲゼルは通貨制度「自由貨幣」を提唱した。これは時間にともなって価値が減じる貨幣で、エイジング・マネー(aging money)とか、減価する貨幣、老化する貨幣とも呼ばれている。一般的な通貨は預ければ利息がつくが、自由貨幣はその反対で保有しつづけていると価値が下がってしまう。いわばマイナスの利子がついてしまうため、貯蓄するインセンティブがなくなる。お金が滞留せずにすばやく回りはじめるため、消費が活性化するという。

20世紀初頭の大恐慌期には、国民通貨とは別に、地域や用途が限定された補完通貨や代用通貨というのが数多く生まれていたそうだ。その後も各地で自由貨幣のコンセプトをもつ通貨の事例が紹介されている。

スタンプ貨幣は、一定期間ごとに少額のスタンプ(切手のようなもの)を裏面に貼らなければならない。スタンプを貼らなければならない日に貨幣を所有したくないので、すぐに手放すことになる。

LETSや交換リングは、プラスもマイナスも許容する、全体としてはゼロになる通帳型のシステムで、コミュニティ内の「貸し借り」を可視化する試みだといえるだろう。

本書は全体として資本主義、グローバリズム批判のイデオロギー色を帯びている。ゲゼル研究会の森野榮一による章、とくに第5章は、繰り返される金融システム批判があまりに情緒的すぎて、やや胸焼けしてしまった。

欲望か倫理か

スマホが普及した現在、自由貨幣のシステムは電子的に実装すれば、一気に姿を変えるだろう。電子化すればスタンプ貨幣を現代に甦らせることもできるだろう。スタンプ貨幣はそもそもスタンプを用意して貼りつけるのが煩雑であるし、スタンプ貼付日前後の所有者間に発生する不公平を感じる。もし連続的に減価する貨幣として実装しなおすことができれば、新たなマイナス利子のお金をつくれそうだ。交換リングも仮想市場として実装できそうだ。

あらたに作るまでもなく、現在すでに電子マネーやポイント、ビットコインをはじめとする暗号通貨など現代版の「もうひとつの通貨」が多数存在している。ただしこれらの通貨は、いずれも本書の言葉でいえば、「競争セクター」にあり、「共生セクター」には属していない。資本主義のマネーが、ひとびとの欲望を駆動力にしているように、現在の電子マネーや暗号通貨も欲望によってふくらんでいる。

本書が提唱している「もう一つの通貨」は、欲望よりも倫理に訴えかけたものだ。しかし欲望と倫理を天秤にかければ、人々はたやすく欲望に落ちるのではないか。「ふるさと納税」がその好例だ。制度の趣旨に賛同するというよりも、返礼品を目当てにしている者がほとんどだ。

自由貨幣は、減価の特性に着目するよりも、共同体に着目していることから「コミュニティ通貨」という呼び名のほうがふさわしい。しかしコミュニティ通貨は使途が制限されている。いくら流通速度がはやいとはいえ、国民通貨にくらべると流動性は低いことは大きなデメリットだ。

コミュニティの経済といえば、フリマアプリ「メルカリ」の経済圏も思い浮かぶ。メルカリの世界のなかでは、メルカリ内で有効なポイントで売買できる。ポイントは、まさに特定のコミュニティでしか通用しないコミュニティ通貨である。しかしメルカリには、共同体の意識が希薄だ。検索容易な商品のカタログは充実していて、交換リングのカタログを彷彿させる。しかし出品者の顔は見えない。ユーザは匿名であり、配送すら匿名でできてしまう。ユーザ間のコミュニケーションは、値引きや配送といった取引に関わることに限定されるようにデザインされている。

メルカリポイントは換金でき、国民通貨とほぼ等価であることも重要なポイントである。だからこそ、商売にする人があらわれ、経済圏が成長した。

コミュニティ通貨とメルカリとを比較するなんて、乱暴だという意見があるだろう。前者は共同体指向なのに対し、後者は一私企業が運営する商業的サービスでしかない。しかし普及規模の差をみれば、メルカリに学ぶべきこともあるはずだ。コミュニティ通貨がフェアトレードと同じように、「現行システムへの批判」という思想でしか対抗できないとすれば、一部の人たちにとっての不満の発散でしかなく、ひろく普及することはむずかしいのだから。

河邑厚徳・グループ現代,2000,『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』NHK出版.
河邑厚徳・グループ現代,2011,『エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと』講談社.

目次

文庫版まえがき 河邑厚徳
プロローグ 「エンデの遺言」その深い衝撃 内橋克人
第1章 エンデが考えてきたこと 河邑厚徳
第2章 エンデの蔵書から見た思索のあと 村山純子
第3章 忘れられた思想家シルビオ・ゲゼル―老化するお金の理論とその実践の歩み 森野榮一
第4章 貨幣の未来が始まった 鎌中ひとみ 村山純子
第5章 お金の常識を疑う 森野榮一
エピローグ 日本でも「お金」を問い直す気運高まる 河邑厚徳
おわりに 河邑厚徳

『メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方』ができました

2013年10月、飯田豊(編著)『メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方』(北樹出版、2013年)が発行されました。

メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方
飯田 豊 大久保 遼 木暮 祐一 柴野 京子 杉本 達應 谷口 文和 溝尻 真也 和田 敬
北樹出版
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本書は、書物や写真、映画などさまざまなメディア技術の成り立ちを学ぶためのテキストです。
杉本は、第8章(コンピュータ)、第9章(インターネット)、カバーデザインを担当しました。

くわしくはこちらをご覧ください。