出国できずに帰宅する

先日、海外に行くつもりが、当日行けないことになってしました。原因は、パスポートの残存期間の不足でした。

くわしくはこちらを参照してください。
欧州諸国を訪問する方へ(外務省)

シェンゲン領域に短期滞在目的で渡航される場合,有効期間がシェンゲン領域国からの出国予定日から3か月以上残っており,かつ,10年以内に発効されたパスポートを所持している必要があります

気の毒なわたしに向かって丁寧に対応していただいた空港係員のみなさんには感謝します。それに対して、予約した某エアラインの電話対応はぶっきらぼうで残念でした。

乗継地の成田空港で行き先を失いました。空港は、海外旅行中の人びとであふれ、ちょっとした非日常の空間です。そこで帰路の航空券を当日購入しなければならないとは、なんと悲しいことでしょう(笑)

パスポートの残存期間にはじゅうぶん気をつけましょう。そういうルールがあることは知ってはいましたが、まさか自分がひっかかるとはおもいませんでした。

5月14日の鯉のぼり

前回の投稿から1ヶ月、熊本に行った。見物に行ったわけではないので、写真は撮っていない。記録として撮っておくとよかったかもしれないが、そんな気分にはならなかった。

4月14日の地震は「前震」だった。16日未明に「本震」が起こった。「本震」の前に、NHKで専門家が次のように言っていたことをおぼえている。

「余震が本震を上回ることは絶対にありません。
 (14日の)本震より大きな余震はないので落ち着いてください」

残念ながら、この言葉は間違いだった。専門家にとっても想定外の地震活動だったようだ。災害は予測できないことをあらためて認識させられる。自然現象においては、安易な将来予測はデタラメだとおもっておいたほうがよいかもしれない。

さて、いろいろな都合があって熊本にはなかなか行けずにいた。地震後はじめての熊本は、奇しくもちょうど1ヶ月の日になった。

地震はすでに風化の段階に入っている。現地を見る限り、この地震は伝わりにくいと感じた。被害が一様ではなく、「まだら」で見えにくいからだ。瓦屋根にかぶされえたブルーシートが象徴的だった。すべての家屋の屋根が損傷しているのではなく、点在している。被害は、報道が集中している町だけではなく広範囲におよんでいる。痛々しいブルーシートによって、家屋の被害は可視化されているように見えた。しかし、それ以外の被害の様相は一見しただけではわからない。

NHKラジオの熊本放送局では、何度も地震に関する情報を伝えていた。

「食中毒のおそれがあるので、消費期限が切れた食品は食べないでください」

相変わらず、ちょっとお説教っぽい口調が気になった。もうすこし寄り添うような言い方ができないものか。

帰路の途中、大きく立派な家屋が目に入った。広々とした屋根がすべてブルーシートでおおわれている。青空よりも鮮やかなシートを背景に、大きな鯉のぼりがゆったりと泳いでいた。もう端午の節句は過ぎている。家主がまだ片づけずにいるのだろう。日常生活をとりもどす決意をこめて。

追記

行きは一般道、帰りは高速道を利用した。高速道は一部対面通行で再開していたことは知っていたが、大きな渋滞にはまってしまった。対面通行区間の直前で、車間の維持や車両重量の確認のためか、一時停止が必要だったからだ。電光掲示板には、渋滞ではなく「停滞」と表示されていた。高速道の完全復旧にはまだ時間がかかりそうだった。

震災の口調

2016年4月14日21時26分に、「平成28年熊本地震」が発生した。
被災地のみなさんには心からお見舞い申し上げます。

その日はあることがあり疲れ果て、佐賀市内の自宅で布団の上でウトウトしていた。iPhoneの緊急地震速報で覚醒し、予告通りわりと大きく揺れた。さいわい家具が倒れたりすることはなかった。

九州で震度7というのが信じられず、何の根拠もなく誤報ではないかと考えた。典型的な正常化バイアスだ。

この夜はいくつもの余震が発生し、緊急地震速報も鳴って落ち着かず、テレビかラジオをずっとつけていた。新年度一人暮らしをはじめたばかりの学生にとっては、突然のことでさぞ心細かっただろう。

NHK総合がネットで同時配信しているというリンクがSNSが拡散されていたので、iPhoneで視聴をはじめた。NHKでは、はじめは電話取材、しばらくすると益城町からの生中継へと切り替わる。現場に駆けつけたカメラマンがリポーターとして状況を説明したり、非難した住民にインタビューする。またしばらくすると、今度は上空のヘリコプターからカメラマンのレポートがはじまった。

NHKは災害報道を毎日訓練しているそうだが、カメラマンや現地リポーターの話しぶりはあまり流暢ではなかった。突然の地震と取材に、彼・彼女自身が興奮しているのだろう。ちょっとした高揚感も伝わってくる。その口調から、わたしたち視聴者は地震の甚大さや被災地の臨場感を感じることができる。ただ、ちょっと興奮しすぎではないだろうか。

興奮した口調の言葉を聞きつづけていると、不安をあおられ、気分がざわついてくる。彼らは被害の大きいところばかりをクローズアップして執拗に繰り返す。いまは夜だ。被害の全容は見渡しても分かるはずがない。深夜に生中継することにどれほどの意味があるのだろう。各社のヘリコプターが低空飛行していたら、地上の騒音は相当なものだ。その騒音は捜索作業などの邪魔にはならないのだろうか。避難されている方々にすこしでも静かな環境で過ごしてほしいのに。

新たな情報はない。繰り返されるのは、政治のトップの言葉と、重大な被害の現場の「画になる」映像だけ。

「火事です。」
「全壊です。」
「脱線です。」
「石垣崩落です。」

非常事態の「画」に目が釘付けにさせられる。不安にかられ、目や耳は興奮してしまう。刺激を受けつづけると、より強い刺激を欲するようになる。終わりのない欲望をかきたてられ、地震の恐怖は癒えないまま、神経がすり減ってしまう。

日本はこれまで幾度も震災を経験しているというのに、今回の報道の姿勢にはこれまでの教訓がいかされているとは思えなかった。どちらかといえばSNSのほうが、まだ冷静な情報が多かったように感じた。

スタジオのアナウンサーは、こう繰り返していた。

「落ち着いて行動してください。」

その言葉は正しい。だれど、教科書的で上から目線。なんだか冷たかった。

翌日のテレビやラジオも同じ調子でうんざりしてきた。NHKラジオを止め、エフエム・クマモトに切り替えた。軽快なBGMを背景に、女性のパーソナリティが各地の給水スポットをゆっくりと読み上げていた。彼女はおそらく、あえて「いつもの調子」でしゃべっている。彼女は災害報道の訓練はしていないかもしれないが、トークのプロとして今求められている話し方をじゅうぶんに心得ているのだ。さりげなく個人的なエピソードを紹介しながら、隣人を心配するような口調でこう言った。

「落ち着いて行動してください。」

NHKのアナウンサーと同じ言葉。だけど、とても温かかった。

地震でざわついた心がすこし軽くなった。言葉の力を感じた。ラジオの良さを再確認できた。

最後に、NHKの刺激的な表現に振り回されてしまったわたしから、ひとこと言わせてほしい。

「落ち着いて報道してください。」

武雄市図書館に行ってきた

佐賀に引越しました。

佐賀といえば、元祖「ツタヤ図書館」である武雄市図書館が有名ですよね。突然思い立って訪問し、ほんの短時間しか滞在できませんでしたので、じっくりと館内をめぐることはできませんでした。

武雄市図書館については、指定管理者選定のプロセスやTカードなど様々な問題が指摘されています。そうした問題を抱えているこの図書館には、わたしは批判的な立場です。ただ一方で、地方の図書館の改革事例としては注目する点もあるのではないでしょうか。新しい施設やサービスを、これまで同様に「図書館」と呼ぶべきではないかもしれません。

武雄市図書館については、そんな印象を事前にもっていました。さて、短時間の滞在でしたが、百聞は一見に如かずですね。いろんなことを感じました。

まず、入り口を入るとすぐに「図書館の自由に関する宣言」が大きく掲げられていたことに驚きました。ほかの図書館なら驚きませんが、利用者のプライバシー問題を抱えている武雄市図書館も、この宣言をしっかり認識していることがはっきりわかったからです。

つぎに、販売とレンタルの敷地面積が想像以上に大きかったことにショックを受けました。訪問前は、販売・レンタルは図書館の「一角」だろうと想像していたからです。蔦屋書店、スターバックスのエリアで、館内のほぼ半分程度を占めているように感じました。販売・レンタルは入り口近くのガラス張りの一等地エリアで、図書館は奥の方においやられています。書店は雑誌の平積みなどゆったりとしたレイアウトに対し、図書館の書棚の通路は狭く窮屈です。

ただ、武雄市のような地方都市に蔦屋書店がある意味は大きいと感じました。雑誌や本のセレクトは、ちょっとした都会の書店にひけをとりません。品揃えは十分ではありませんが、ほとんど売れなさそうな人文書の棚までありました。でも本を愛好する人には、こうした本に出会える環境が身近にもあることは大歓迎でしょうね。ちゃんとした図書館すらなかった田舎育ちの私にはうらやましい限りです。

書棚をじっくり巡ることはできませんでしたが、カフェを利用したり雑貨を購入したりして、しっかりお金を落としてきました。そうそう、貸出のカウンターと購入のレジが一緒であることにも驚きました。館内では、販売と図書館の境界線をなるべく見せないようになっているのです。販売と図書館の書棚も共有していました。どこまでが販売なのか判然としないので、利用者にとって使い勝手は良いとはいえません。これが企業の戦略なのでしょう。

翻訳を担当した『Generative Design』がなんと配架済みでした。残念なことに、背表紙に「館内」シールが貼られていたので閲覧のみで貸出はできないようでした。

Generative Design ―Processingで切り拓く、デザインの新たな地平
Hartmut Bohnacker Benedikt Gross Julia Laub
ビー・エヌ・エヌ新社 (2016-02-25)
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撮影禁止なので写真はありません。

「ひとり出版社」のお祭りがあった

この夏、大学の研修授業で首都圏を訪問した。その合間に、表参道の小さな書店・山陽堂書店で開催されていた「本の産直・夏まつり」に出かけた。

このイベントについては、マガジン航のこちらの記事にまとまっている。

小出版社の「産直」フェアに行ってきた(仲俣暁生)

ここに参加していたのは、小さな出版社ばかり。

アダチプレス、アトリエM5、アリエスブックス、アルテスパブリッシング、えにし書房、共和国、苦楽堂、ころから、サウダージ・ブックス、猿江商會、サンライズ出版、三輪舎、スタイルノート、トランスビュー、ななみ書房、羽鳥書店、バナナブックス、ビーナイス、ブックエンド、ぶなのもり、ぷねうま舎、ブルーシープ、ポット出版、堀之内出版、まむかいブックスギャラリー、港の人、わかば社

もともと世の中に数多くある出版社のほとんどは小規模な組織だが、ここに揃っていたのは超がつくほどの零細出版社。一人で全てをこなしている「ひとり出版社」も少なくなかった。ひとりとはいえ、発売している書物はしっかりと印刷製本され書店に流通している。

ちょうど訪れたとき、業界紙などの取材が入っていて、売り手の人たちが、「大手出版社とはまったく違う働き方だよ」と談笑している。その言葉に悲壮感はなく、むしろやりたいことやっている明るさがあった。これも耳に入ってきたが、小規模出版社は、新刊書店だけでなく古書店でも流通販売しているそうだ。ちなみに古書店は一人で開業している「ひとり古書店」がずっと多い。

小規模出版社はそれぞれ個性豊かな出版物を送り出している。そうした出版物をまとめて目にすることは意外と難しい。この夏まつりは、取次や書店という中間を抜いたまさに本の「産直」市であり、本の送り手の顔が見えコミュニケーションがとれる場だった。一般の読者にとっては新鮮なイベントで、たしかに上の記事にあるとおり縁日的な楽しさがあった。

その後立ち寄った有楽町三省堂では、雑誌売場に有楽町ガード下のグルメ本があった。一冊わずか200円。コピー用紙をホチキスで綴じたバーコードのない「手づくり本」が、一般書店の店頭で販売されていることに驚いた。これは、セルフ・パブリッシング(自己出版)やジンの世界と限りなく近い、一般の書店流通からもはみ出した「ひとり出版社」だ。

本の夏まつりに、書店に並べられた手づくり本。どれも出版産業全体から見れば取るに足らない小さな営みにすぎない。とはいえそこには、ちょうど研修で見学したばかりの大企業で見られた分業体制では味わえない魅力がある。パーソナルファブリケーションやMakersといったDIY文化的なムーブメントが、とりわけ都市部で盛り上がっているのは、じつは大組織に所属している勤め人たちの「ひとりでものをつくる」という欲求が反映されているのかもしれない。