センター試験について

2017年のセンター試験が終了した。今年は寒波、大雪と重なるということで事前のニュースでも多く流れていた。

わたしは高校2年生のときまで、なぜセンター試験がこれほどニュースで扱われるのかが理解できなかった。なぜなら自分は受験するつもりのない無関係なものだったからだ。わたしが通っていた田舎のヤンキー高校では国公立大学に進学する生徒は皆無だった。ほとんどが就職である。

そこにはセンター試験対策ということばは存在しなかった。わたしは高校3年になって国公立大学に進むことを決め、その学校でただひとり受験することになる。なにも受験にかんする情報を得られないので、週末原付で市内の予備校の模試に行ったりした。都市部の進学校にいた人には想像もつかないだろうが、受験情報の格差はとてつもなく大きい。同等の学力の生徒がいたとして、受験情報の有無によって合格率はずいぶん変わってしまうだろう。

わたしの経験は特殊だといいたいわけではない。そもそもセンターを受験するのは、いまでも現役生の半数程度である。のこりはセンターとは関係ない人生を歩んでいる。

毎年この時期になると大学教員からの叫びが聞こえてくる。それらのほとんどはたんなる愚痴でしかない。なぜなら建設的な解決策をたててはいないからだ。研究者がやりたいことは「創造的な知的生産」であり、そのためにその職をえらんだようなものだ。だから「非創造的な作業」に従事させられるのは苦痛をともなう。とはいえ、だれでもやりたくない仕事(作業)はあるし、それでもやらねばならないことはあるのだ。受験したことがあるのなら、その恩返しだとおもって粛々と取り組めばよい。

あと数年後には、センター試験が新試験に移行する。しかし、大きく枠組みが変わることはなさそうだ。

なぜなら試験を設計しているものはみな、人生にセンター試験があった者ばかりだからだ。かれらは共通一次試験やセンター試験を受験し、合格し、官僚や研究者になっている。かれらは大人になっても、センターの思い出話に花を咲かせ、人生の後輩たちにエールを送る。その成功体験をもとに、試験を設計するのだから、過去の経験の影響を受けないはずがない。いかなる人生経験も、たやすく美談にすりかえられる。いわく受験勉強はその後の人生にとても重要である。それに全国一斉の一度きりのチャンスに挑戦することの意義は大きいと。

果たしてそうだろうか。ほんとうに「全国一斉の一度きりのチャンス」をつづけることが、受験というシステムをよりよくするための必要なことなのだろうか。そろそろ、べつの「社会実験」をしてもいいのではないだろうか。

そうそう、マスメディアで働いている人たちも同じくセンター経験組である。だからニュースではさも国家の重大事のようにセンター試験が扱われるのだ。その光のあてかたでは、かげとなって消えてしまう人たちもいるというのに。

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2016年をふりかえる

2016年は、イギリス国民投票でEU離脱、米大統領選でトランプ勝利、北海道新幹線、相模原事件、小池都知事、東京五輪新エンブレム、生前退位ご意向、ポケモンGO、参院選・18歳選挙権、マイナス金利などなどありました。

ここでは個人的に2016年をふりかえる。

  • 2月 『Generative Design』日本語版発売!
    安藤幸央さん、澤村正樹さんとともに翻訳を担当させていただきました。監修はTHE GUILDの深津貴之、国分宏樹さん。デザインは平野雅彦さん。編集はビー・エヌ・エヌ新社の石井早耶香さん、村田純一さん。
    佐賀大学美術館での展覧会で、ひさびさにProcessingで作品づくり。IllustratorのJSも試したけれど結局Processingでやった。

  • 2月 レンタルサーバ乗っ取られ事件
    やられた。原因はわかっている。自分ではないユーザのかんたんすぎるパスワード……。

  • 4月 熊本地震
    阪神・淡路のときも東日本のときも震源から遠く、九州で大地震にあうとは完全に油断していた。さいわい佐賀の自宅も熊本の実家も無事だった。熊本の被災状況はいまも生々しい。

  • 4月 札幌から佐賀へ移動
    もっとも大きな出来事。1月から3月にかけて、新生活の準備のために北海道と九州を何往復したことか。あらたな同僚の先生方はみな気さくな方ばかりでありがたい。ここで大学教員としては私立・公立・国立すべてを経験することになる。それぞれの大学の文化のちがいを観察する。

  • 6月 海外行けない事件
    顔面蒼白。完全自腹。もっとも手痛い出費となった。

  • 体調不調
    引越にともない気候が大きく変わったせいか、自分や家族の体調がよくなかった。九州は生まれ育った地なので大丈夫とおもっていたが甘かった。とくに夏場の湿度の高さや、春・秋・冬の寒さがこたえた。病院で診てもらっても原因不明の痛みが複数あり。厄年とはこういうことか。歩くことがすっかりなくなり、体力をつけなければならない。

  • クラウド整理
    VPSレンタルサーバのownCloudや、職場アカウントのOneDriveなどを試すも、うまくいかず時間が費やされるばかりなので、結局Dropbox有料プランに落ち着いた。

年の後半もいろいろあったけれど、項目をたてるほどのことはないかな。
さまざまな事情がかさなり、ほとんど遠出ができない年だった。2017年はもうすこし外へ出かけたい。

Facebookはタイムライン・アルゴリズムを公開すべき

さいきんFacebookのタイムラインがおかしい気がする。いや、まえからずいぶんおかしいのだけれど。このところわたしの挙動の変化はこうだ。「知り合い」を選択しているような「親しくない人」の投稿がよく表示されるようになった。

いったいどんな計算の結果で、このようなタイムラインになっているのか、一介のユーザには皆目わからない。Facebookはユーザのタイムラインを制御しているが、その内実は闇の中だ。Facebookは、2012年にユーザの感情操作実験を秘密裏に実施し、2014年に物議をかもしたことがあった。いまの違和感も、A/Bテストや秘密の心理実験の対象者になっているのが原因かもしれないと、疑心暗鬼にならざるをえない。

このところFacebookは、機会があるたびに「フィルター・バブル」を作り出していないと主張している。マーク・ザッカーバーグは、次のように弁解する。

「Facebook上の最大のフィルターは、ユーザーが意に沿わないコンテンツをクリックしないことだ。ニュースフィードには、意に沿わないコンテンツも流れるし、自分とは異なる考えや宗教を持つ友達もいる」、つまりフィルターバブルの中にも対立する考え方が入ってくるが、それをユーザーはクリックしないのだと主張しました。
このクリックしない率は相当高くてびっくりするぐらいで、「それをどうしたらいいか私にもまだ分からないが、何とかしなければならないと強く思っている」とのことです。
トランプ勝利で浮かび上がるSNSの問題点 – ITmedia PC USER

そうFacebookは、ユーザと異なる主義主張のコンテンツのエンゲージ(表示時間、いいね、コメント、シェア、クリック)率を計測している。それもきっと利用規約のうちだろう。リテラシーのある多くのユーザも承知のうちだ。だから異なる考えの主のリンクをクリックするなんて危険なことはやらない。うかつにクリックすると、自分のタイムラインが偏ってしまうかもしれないのだから。ユーザは、目に見えない管理者の挙動にびくびくしながら使っている。

それがいまのFacebook最大の脅威だ。Facebookは全体社会のビッグ・ブラザーになっている。

Facebookのタイムライン・アルゴリズムは複雑で、おそらく人間の目でみて理解できるものにはなっていないだろう。それでもFacebookはそのメカニズムを公開しユーザに説明するべきだろう。おそらく無数のA/Bテストが走っているのだろうが、そうした実験の対象者なのかどうかも明らかにしてほしい。それらができなくても、ナチュラルな(制御なしの)タイムラインの表示オプションがあれば、何もできないユーザとしては、かなり気分が落ちつくのだけれど。

クリエイティブ自給率

ただの思いつきである。

とある照明「A」がほしいとおもっていた。ヨーロッパのデザイナーのものだ。
さいきん別の照明「B」の情報をもらって、これもいいなとおもった。日本のデザイナーのものだ。

ここで、AではなくBを買ったら、わが家の「クリエイティブ自給率」が上がる、と考えてみる。
今日、多国籍に活躍する人も企業も多いのに、デザイナーの国籍を云々するなんて、時代錯誤のナショナリズムも甚だしいと非難する向きもあろう。

たださいきん、この国でクリエイティブで食べていける人はどうやったら増えるのだろうかとぼんやり考えることがある。
世界中にクリエイティブ従事者はいるけれど、それを生業にしている「隣人」が多ければ多いほど、生活が豊かになりそうだ。

たとえば、海外で製造された家具ではなく、隣町の職人が仕立てた家具を買う。
クリエイティブ自給率が上がれば、国内クリエイターの収入は上がる。
兼業作家が専業作家になれる。ますますよい創作物が作り出される。
消費する瞬間だけを切り取れば感覚的な選択にすぎないが、長期的には日常生活にはねかえってくるのではないだろうか。

資源が限られている国だからエネルギー自給率は低くてもやむをえない。
でもクリエイティブ自給率をみずから下げなくてもよいのではないか。
文化立国、クリエイティブ立国だと息巻いている人こそ、自給率向上に貢献してほしいものだ。

もちろん単純にクリエイティブ自給率が高ければいいとはおもわない。
価格、品質、デザインなど多くの要素が絡まっている。
答えは出ない。
けれども、こういう物差しを頭の中に入れておいてもいいかもしれない。

職人の一人息子

とある研修で、池田賢市さんの講演をきいた。

数百人の聴衆が集まる大きな催しだった。しかし、私を含め聴衆のほとんどは研修目的で、非自発的に来ている。そんな冷めた場で講演がはじまった。

概念的な内容が中心の前半に対し、後半はずいぶんとプライベートな話だった。それも幼少期から青年期までの、さまざまなエピソードで構成され、ディテールがしっかりしている。

池田さんは、革靴職人の父の一人息子。

自宅の工場で早朝から深夜まで働き、父が寝ている姿を見たことがない。
夜はテレビのプロレス中継をみて午後8時48分に仕事場に戻る。試合がのびると、父に結果を伝えにいった。
靴一足仕上げて300円。
なかなか下水道が整備されない地区だった。
ドブの上に住んでいる同級生がいた。
家族の代筆をしていた。
鬼退治の昔話をみて、「鬼を退治するなんて。何か悪いことしたのか」と父が言った。
父は、ひと月の収入を茶の間のコタツの上に広げてみせた。父に「わぁすごい」と言った。
親に彫刻刀を買ってと言えなかった。片時も持参物のことを忘れてはいなかったが、学校では「忘れ物」が多いとカウントされた。
チラシの裏に英語の宿題を書いて提出した。先生は、「これでいいのだ」と(褒めるのではなく)認めてくれた。
母のダスキンの集金を手伝っていた。こどもが行けば払ってくれるから。
大学受験の情報がなく、社会学科を受けるために社会学の本を読みあさった。
などなど。

先生の一言で救われたり反感を覚えたり。
親子の互いのささいな一言の思い出が、家族を保ってきたことがよくわかる。

自営業者の子として、胸に迫るものがあった。

どのような境遇のこどもでも、望めば大学進学できる社会でありますように。