新井克弥,2016,『ディズニーランドの社会学: 脱ディズニー化するTDR』青弓社.


ディズニーランドには一度も行ったことがない。そう言うとたいてい驚かれる。もしかすると日本人のなかでは少数派かもしれない。なのでディズニーランドについては何も語れないのだが、この本は面白かった。まずはディズニーランドやディズニーにまつわる豆知識が得られた。重い論文ではなく、アカデミックなエッセンスがちりばめられた軽妙なエッセイのようだった。

著者は開園当初の東京ディズニーランドでアルバイト経験があり、ウォルト主義と現在のゲストの振る舞いの変化のあいだに愛憎の念を感じているようだ。著者によれば、現在のディズニーランドは、ウォルトが夢見ていたファミリーのための永遠に完成しないテーマパークではなくなったという。「Dオタ」なるコアなファンが、ときにテーマパークのルールを逸脱する過剰な楽しみ方をしていて、オリエンタルランドもその客層を狙って変化をつづけているという。わたしにはテーマパークの客層の変化がどれほど劇的なものなのか分からない。しかしこれを厳密な数字で示すのはむずかしく、印象で語っているのはやむをえないだろう。

東京ディズニーランドが変化した大きな原因は、日本特有の消費文化にあると本書は指摘する。もちろんその通りだが、インターネットによる来場者同士の情報流通が決定的な要因ではないだろうか。テーマパークとは、演出された巨大な舞台を楽しみ、ストーリーを読みとく場所だった。しかし今日では、多くのゲストが細かい知識と趣味の世界で細分化された情報を得ながら、それぞれの楽しみ方を突き進められる場所になっている。この現象を気持ち悪いと断罪もできるが、だれもが「通」として楽しめるようになったと肯定的にとらえることもできるだろう。

結局のところ、対象への愛情や知識の量を競い合うようなゲームになっているいわゆるオタクやサブカルチャーの領域と同じ世界になったのだろう。ディズニーランドは、もともとファミリー向けの無毒な(ディズニファイされた)テーマパークだけに、このようなオタク的ふるまいとは本来折り合いがつかない場所である。しかし日本では経営的に生き残るためにも、文化的に受け入れやすくするためにも、うまくローカライズして成功をつづけているということか。

ディズニーランドに少しだけ興味がでた。一方で一生行かなくていいともおもう。いや、本国アナハイムのディズニーにはちょっとだけ行ってみたくなった。

(1004文字・30min)

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