オリンピック招致映像にみるイメージの力


2016年東京オリンピックの招致プレゼン映像の制作費が高すぎるのではないかと報道されています。 5億円という金額は、庶民感覚としてはもちろん高いのですが、映像の制作費として妥当なのかどうか、わたしには想像のつかない世界です。都民の税金でまかなうのなら、もっと都民にも見せてほしいとは思いますが。 制作費には、本番で使用しなかった部分や、知事の指示で制作をやり直した費用も含まれているそうです。

わたしは、金額はともかく、その中身におどろきました。東京とリオの招致映像がYouTubeにあります。ふたつを見比べてください。

東京

リオ

いかがでしょうか。
2016年のオリンピック開催都市はリオに決まりましたが、この映像だけで比較しても、リオが圧勝しています。

リオの映像イメージは、力があります。スポーツが市民の日常生活と結びついていることが、いきいきと伝わってきます。映像だけで、どのような世界観をアピールしたいかの方向性(ディレクション)が明確に語られているのです。短いプレゼン映像ですべてのことを語ることはできません。そこで、聴衆に強力な印象を与える方向づけが大切になります。きっと、映像ディレクターが、その方向づけを決め、責任をもって作ったのでしょう。

それに比べると、東京の映像は、お金はかかっているように見えますが、陳腐なイメージと脈絡のない場面がつなぎあわされていて、なにを言いたいのかが明確ではありません。あくまで推測ですが、この背景には、責任をもつ映像ディレクターが不在だったことにあるのではないでしょうか。いや、責任をもちたくても、もたせてくれなかったのかもしれません。ここで、気になるのは、「知事の指示で制作をやり直した」ということです。知事は、いったいどんな口を挟んだんでしょうか。