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坂根厳夫さんのこと

坂根厳夫さんは、私にとってはIAMAS初代学長である。学長といっても遠い存在ではない。IAMASの関係者は、みな坂根さんの薫陶を受けている。学生にも気さくに接してくれる方だった。

坂根さんが学長でなかったら、IAMASに「芸術」は入らなかっただろう。メディアアートの教育拠点として、開校当時から唯一の存在感を放っていたが、地域の情報産業の人材育成とはやや遠くなってしまったことを岐阜県はどう感じていたのだろうか。

坂根さんは、世界中からアーティストを招聘しては、展示、講演、談話などをやるよと、学生に呼びかけてくださる。

メディアアートのことがよく分かっていないときに、無理な相談事をしたことを覚えている(学長に直接相談できるだけでもよい学校だ)。

学生のことは、ほんとうによく覚えていらっしゃった。人の名前よりも作った作品のことを伝えれば分かってくれる。坂根さんの頭の中には、学生作品がつまっているのだ。

いつもビデオカメラを片手にあちこち取材されていて、好奇心の塊のような方だった。いまも科学と芸術の境界域を冒険されていらっしゃるはずである。

新幹線にて

某日、新大阪から東京へ新幹線に乗車した。前日の寝不足を補おうと車窓のカーテンを閉めて一眠りした。うつらうつらしていたら、名古屋駅に着いたようだった。

通路に女性が立っている。私を冷たく見て、「私、窓側の席なんですけど!」と告げてくるではないか。小さな声と視線に深い怒りがこもっている。どうやら私が座席を間違えて座ってしまったらしい。このところ、自分の記憶力にはまったく自信がないので、窓側と通路側を間違って座ったのだと理解した。即座に席をはなれ、「すみません。たいへん失礼しました」と謝った。

女性は窓側の席に座り、私はその隣の通路側の席に移った。女性は怒りがおさまらない様子だ。隣あって座るのはじつに気まずいが、しかたがない。女性はスマホに向かって何かメッセージを書いている。「私の席がとられてた!」とか送っているのかもしれない。

それから、私がラップトップを取り出してひと仕事していたら、女性が話しかけてきた。「あの、席を間違えていたのは私でした」。ということは、わたしは正しく窓側の席に座っていたということらしい。女性は通路側だったのか。それなら正しくは席を交替する必要がある。でも窓側にこだわることもない。私は、「いえ、このままの席でよいですよ」と寛大な気持ちを示した。

ところが女性はいそいそと席を離れ、逃げるように前方の窓側の席へと移っていった。女性の正しい座席は、前方の窓側席だったのだ。私の正しい座席は、最初に座っていた窓側席だった。

席を間違っていたのは私ではなく、女性だったのだ。数十分間つづいた突然の緊張状態は突然ほどけた。

ティモシー・スナイダー,松井貴子訳,梶さやか解説,2021,『秘密の戦争:共産主義と東欧の20世紀』慶應義塾大学出版会.[ISBN: 9784766427707]

ロシアのウクライナ侵攻からしばらくして、YouTubeにティモシー・スナイダーのイェール大学の講義が出てきた。ざんねんながら講義の内容はあまり把握できていない。けれど、ウクライナに詳しい専門家がいるんだという驚きと、アメリカの大学の講義の雰囲気を疑似体験できることから、たまに流していた。

スナイダーは、何か国語もあやつれるという。そのスナイダーの本が、『秘密の戦争』だ。本文が約400ページ、註・参考文献が約100ページある分厚い研究書だ。歴史にうといので、私にはこの本は難解すぎた。ポーランドの「プロメテウス運動」など知らないことばかりだ。なので、内容について深入りすることはできない。ヨーロッパの歴史はもちろん、アジアの歴史も日本の歴史もほとんど知らないことを改めて気づかせてくれた。

本書は、20世紀初頭、ポーランドの地方の知事だったヘンリク・ユゼフスキの生涯を軸に、中央・東欧の現代史を描く。ポーランドとその周辺は帝国に囲まれた地域で、数多くの領土紛争がおきている。ユゼフスキは政治家であり、芸術家であり、諜報活動家でもある。

ユゼフスキは、晩年作品制作を再開する。彼の描いた絵が掲載されているのが興味深い。もっとディテールも見てみたかったが、かるくネット検索しただけでは見つからなかった。

それにしても、このような歴史研究書が、日本語で読めることがすごい。おびただしい数の人名や地名が、すべてカタカナになっているだけでも圧倒的で、翻訳の大変さがしのばれる。本書の翻訳にふれたツイートがあったので紹介する。

原題(Sketches from a Secret War)もそうだが、最後の2文がウィットにとんでいる。

ユゼフスキは揺るぎない人生(スティル・ライフ)を生きた。彼が描いた構図のくばくかは、いまも失われていない。

坂本龍一さんのこと

2023年1月の高橋幸宏さんに続いて届いた訃報に、驚きと悲しみの声がたくさんきこえてくる。

坂本龍一といえば、私にとっては、「札幌国際芸術祭2014」のゲストディレクターとしての存在が大きい。2013年に、札幌コンサートホールKitara大ホールでコンサートを聴いた。坂本龍一のピアノを生で聴いたのは、このときが最初で最後だった。あのときは、芸術祭になれば、またコンサートに行けるだろうと思っていた。しかし、芸術祭の開幕直前に、中咽頭がんであることが発表され、たしか開催中に札幌に来ることがなくなってしまった。そのときから、10年あまりがんと闘われたことになる。

札幌国際芸術祭では、ひょんなことから、「コロガル公園 in ネイチャー」のメディアディレクションを担当することになったので、私も芸術祭のスタッフの一員だった。プロジェクトの打ち上げで、坂本龍一さん直筆サイン入りのTシャツをいただいた。

芸術祭のゲストディレクターとは、名前だけではなく、相当綿密に多くのプロジェクトに関わり、精力的に活動されていたことを関係者から伺った。坂本龍一は、芸術家でありアクティビストである。さらに、目配りのできる優れたディレクターでもあった。

いつか作曲された曲をピアノで弾いてみたい。ときどき練習しているが、まだまだ私には早すぎるようだ。

ご冥福をお祈りします。

(491文字・15分)

室井尚さんのこと

あれは、横浜トリエンナーレ2001のすこし前のことだったとおもう。美学者の室井尚さんの集中講義をIAMASで受講した。

室井さんは横浜トリエンナーレの参加アーティストとして、横浜のランドマークのひとつ、インターコンチネンタルホテルに巨大なバッタのバルーンを壁に貼りつけるという(椿昇+室井尚《インセクト・ワールド 飛蝗(ひこう)》2001)。資金調達が追いついていないから、みんなからの募金を募るといっていた。いま振りかえれば、クラウドファンディングのようなものだ。彼は、あかぬけたビルにバッタをつけるという奇抜なアイディアに全力で、作品の企画と実現にかける並々ならぬ情熱を感じた。

授業は、横浜トリエンナーレつながりで、現代美術の話題がおおかったようにおもう。いまも記憶に残っている言葉がある。こんな感じだった。

「現代美術の世界では、超有名なアーティストばかりが活躍し、流行の作家で入れ替わり立ち替わり登場する。まるでポップミュージックのヒットチャートのようじゃないか」

それに続けて、「それでいいのか。美術とはそのようなものでいいはずがないだろう。資本主義の波に飲み込まれたものは、もう美術ではないのではないか」──と、こんなことまでおっしゃっていた気がする。(20年以上まえのことで記憶があいまいだ)

ときは変わって、2022年3月。吉岡洋さんの退職記念トークイベントにオンラインで参加した。ゲストで登壇した室井尚さんの言葉がやはり記憶に残っている。とにかく吉岡さんをほめまくるのだ。「吉岡さんは、みんながおもっているよりもずっとすごいんだ」。学生時代の出会いのエピソードから、後輩の吉岡さんを尊敬していることがよくわかる。面前でこれほどほめる人をはじめてみた。強い友情を感じた。

直接の面識はないけれど、いつも大きな熱意を感じた方だった。ご冥福をおいのりします。(700字・20分)