「詩的な計算」って何? SFPC集中ワークショップに参加して

この投稿は、potariにも掲載しています。

「SFPC Summer 2019 in Yamaguchi」に参加し、いろいろな衝撃を受けたことをまとめておきたく、アート情報サイト「potari」に記事を書きました。幅ひろい人に読んでもらえるように、テクノロジーや人物などの固有名詞にはふれていません。1年ぶりの記事が、またYCAMの話題でした。


2019年9月4日から11日まで、山口情報芸術センター[YCAM]で集中ワークショップ「SFPC Summer 2019 in Yamaguchi」が開催されました。SFPCとは、ニューヨークでアーティストたちが設立した小さな学校の名前です。この学校では10週間のカリキュラムを提供していて、コンピュータを用いた表現方法を学ぶことができます。このユニークな教育プログラムはひろく知られ、日本をふくむ各国から受講生が集まっています。そのSFPCが米国外ではじめて開催すると知って参加を申し込んだところ。幸運にもこの集中ワークショップに参加することができました。

SFPCの正式名称は「School for Poetic Computation」。「ポエティック・コンピュテーションのための学校」という奇妙な名前です。ポエティック・コンピュテーションを日本語にすれば「詩的な計算」と言えばいいでしょうか。いったい何なのかとても気になります。ところがワークショップに参加しても答えはありませんでした。この学校ではポエティック・コンピュテーションが何かを定義しないというのです。つまり、このキーワードが気になったら、一人ひとりが探究すればよいのでした。

ただ、ワークショップを通じて「詩的な計算」がしめしている方向性は見えてきました。詩的というのは、商業的で実務的な活動に対するアンチテーゼだということです。詩をかくことは、効率化や収益を求める経済活動とはほど遠いきわめて個人的な創造活動です。コンピュータを用いた表現といえば、ゲームや広告、デザインといった、いわゆる「クリエイティブ」と呼ばれる業界が思い浮かびます。しかし本来のクリエイティブとはもっと自由な行為で、経済的業界の枠内におさまるものではないはずです。今回のワークショップのテーマは、「ギフトとしてのテクノロジー」を考えることでした。コンピュータを用いた表現でも、他人を思いやったり絆を深めるようなものをつくれるはずという信念がこめられています。

ワークショップに参加した生徒20人は、できるだけ多様なバックグラウンドの人が集まるように選考されています。年代や職業、性別はもちろん、出身国もさまざま。日本、中国、韓国、タイ、オーストラリア、カタール、スイスなど、幅広い地域から集まりました。最初のオリエンテーションでは、わたしたち生徒はそれぞれ違うところからやってきた「文化大使」であり、アーティストであると説明されます。お互いの違いを尊重し、ともに学ぶコミュニティの成員としてふるまうことの大切さをしっかり意識づけられる導入でした。

およそ1週間のプログラムには、SFPCとYCAMの講師陣による授業がみっしりつまっています。授業のテーマは、電子工作、プログラミング、ゲームデザイン、折り紙、バイオテクノロジー、即興ダンスなどさまざまです。どれもスキルを得るための授業ではなく、手や身体を動かしながら考えさせるものばかりでした。1日の終わりには、生徒と講師、スタッフみんなでご飯を一緒にたべます(ファミリーディナー)。週末は遠足にでかけて、多くの時間をともにしながら自然と心地よいコミュニティができあがります。最終日のファイナル・プレゼンテーションでは、生徒一人ひとりがワークショップをふりかえり、詩的なプロジェクトやパフォーマンスなどをお披露目し、来場者と意見を交わして終了しました。

このところプログラミングを学べる教室があちこちにできています。プログラミング教育が台頭している背景には、コンピュータを理解することが仕事を得る上で不可欠だとする実利的な思惑が見え隠れします。しかし「詩的な計算」を掲げるSFPCのように、コンピュータを用いた表現の可能性や社会との関係を根本から考えられるところはほとんどありません。

大学教育にかかわるわたしにとって、生徒になってSFPCに飛びこんだことはおおきな収穫でした。SFPCは既存の教育制度の枠外にある私塾的な学校だからできることかもしれませんが、安心できる自律的な学びの場が実現していました。SFPCの講師陣はつねに穏やかな笑顔で授業を進行し、生徒の活動を全面的にサポートしてくれます。もちろん生徒同士も助けあいます。ここでは、生徒が評価や競争への不安にさいなまれたり、心理的重圧にさらされることがありません。日ごろの教育現場に比べるとまぶしいくらいのユートピアでした。ここでは教育方法の根幹に、他者への信頼や寛大な精神が宿っていることがひしひしと伝わってきます。今回の参加経験が、これからの自分の活動に影響することは間違いありません。SFPCの教育方法や思想は、わたしだけでなく生徒それぞれのホームグラウンドを通じて着実にひろがっていくはずです。

今回のワークショップを企画したYCAMでは、評価がさだまらない実験的取り組みをたくさん実施しています。いつも面白いプログラムが開催されていますので、見に行くことをおすすめします。最後に、このすばらしい機会を実現し、全体を通じてきめ細かくサポートしていただいたYCAMスタッフのみなさんに深く感謝します。

撮影:竹久直樹
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

2014年2月22日「おもてなしのデザイン」開催のお知らせ

研究室のプロジェクトDEVELOPMENTALで、トークイベントを企画しました。
今回のテーマは「おもてなし」です。
東京オリンピック招致プレゼンで流行したことばですが、オリンピックの話ではないですよ。
(でも、オリンピックの話もリクエストすれば出てきそうですが。笑)
宮田雅子さんは、はばひろい関心をもちながらデザイン活動されています。宮田さんのお話をまとめて聴ける機会になるので楽しみにしています。
みなさんのご参加をお待ちしています。

DEVELOPMENTAL/オープントークvol.2「おもてなしのデザイン」

20140222DVLPMNTL

プレゼンター: 宮田雅子(デザイナー/札幌大谷大学)

司会・進行: 杉本達應(札幌市立大学)

日時: 2014年2月22日(土) 16:00-18:00

会場: 札幌市立大学サテライトキャンパス
[札幌駅南西・北4西5・アスティ45ビル12階 電話 011-218-7500]

参加費無料。事前申込不要。どなたでもご参加いただけます。
Facebookご利用の方は、ぜひイベントページで参加登録してください。

デザイン思考、ソーシャル・デザイン、コミュニティ・デザイン、サービス・デザイン……近年、「デザイン」という言葉が、商業デザインを超えて多様な領域で使われるようになりました。

今回、札幌を拠点にユニークなデザイン実践を展開されている宮田雅子さんをお迎えし、 広がる「デザイン」の意味をラディカルに問いなおします。キーワードは、「おもてなし」。

宮田さんは、たんなる地域振興や観光開発ではないデザインとして「美唄式 あぜ道ピクニック–これが美唄のおもてなし」(北海道美唄市)等をプロデュースしています。こうした活動事例を通して、「おもてなしのデザイン」とは何か、「おもてなし」と「サービス」の違いなどについて話題を提供していただき、参加者のみなさんと話しあう機会にしたいとおもいます。

宮田雅子(みやた・まさこ)
札幌大谷大学芸術学部美術学科専任講師。
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。凸版印刷株式会社でセールスプロモーション企画に従事後、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科助教を経て、現職。
専門はメディア・デザイン。デザインとメディア論の間を往復しつつ、プロジェクトやメディア実践などを手がける。共著に、『メディアリテラシー・ワークショップ:情報社会を学ぶ・遊ぶ・表現する』(東京大学出版会)など。

主催・お問い合わせ先:
札幌市立大学デザイン学部メディアデザインコース 杉本達應研究室
sugi (at) media.scu.ac.jp
*「DEVELOPMENTAL」は杉本達應研究室の研究プロジェクトです。

札幌でトークイベント開催

突然ですが、札幌でトークイベントを開催いたします。
みなさんのご参加をお待ちしています。
こちらからお申込みください。

DEVELOPMENTAL/オープントーク「メディア表現の未来を考える」


プレゼンター:緒方壽人(takram design engineering)
日時:2013年10月5日(土)  14:00-16:00
会場:札幌市立大学サテライトキャンパス[札幌市中央区北4条西5丁目アスティ45ビル12階 電話 011-218-7500]
参加費無料・どなたでもご参加いただけます。

情報技術が発達し、便利なデバイスを身につけ、デジタルな表現に接することが日常的になりました。こうしたなか、アートやデザイン、製品開発などの領域で、新しい表現やものづくりの方法論に注目があつまっています。デザイナーやエンジニアといったクリエイティブに関わる人は未来に向かってどのような役割を果たすべきでしょうか。

今回、デザインエンジニアの緒方壽人さんをお招きして、これからの表現やものづくりの可能性について一緒に考えます。緒方さんが所属するtakram design enineering(タクラム)は、インタラクティブ・アートからソフトウェア、ハードウェアまで幅広い製品を手掛ける東京のクリエイティブチームです。従来独立していたデザインとエンジニアリングの領域を横断したプロジェクトは、どのようなプロセスで生み出されているのでしょうか。「Habataki」(コニカミノルタ有機EL照明)、「音めがね」(デザインあ展)、「ミミクリーズ」(NHK Eテレ)、「ARTSAT」(芸術衛星プロジェクト)など実際の事例をもとに、新しい時代の「ものづくり」や「表現」の考え方や方法論について、参加者のみなさんとともに考えていきたいとおもいます。

緒方壽人(おがた ひさと)
takram design engineeringディレクター/デザインエンジニア。東京大学工学部卒業。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業。リーディング・エッジ・デザイン、オン・ザ・フライ設立等を経て2012年よりtakram参加。ソフトウェアからハードウェア、アートからデザインまで幅広い領域で活動し、「NTT DoCoMo OnQ」でiFデザイン賞、グッドデザイン賞金賞など受賞多数。多摩美術大学非常勤講師。

プログラム
進行:杉本達應(札幌市立大学)
14:00 開会のあいさつ・趣旨説明
14:20 トーク+ディスカッション「メディア表現の未来を考える」
15:50 まとめ・閉会のあいさつ

主催・お問い合わせ先:
札幌市立大学デザイン学部メディアデザインコース 杉本達應研究室
sugi (at) media.scu.ac.jp
*「DEVELOPMENTAL」は杉本達應研究室の研究プロジェクトです。

WWDC 2013まで残り1ヶ月。「はじめてのWWDCガイド」2013年版日本語訳をどうぞ。

あと1ヶ月で、WWDC 2013ですね。

今年は2分でチケットが売り切れたとか……でもラッキーにもチケットを手に入れた人のなかには、WWDC初参加者の方もたくさんいらっしゃるとおもいます。

そこで、iPhoneプログラマーJeff LamarcheさんのブログiPhone & Mac Developmentの 「はじめてのWWDCガイド」の日本語訳をつくりました。

へたな翻訳ですので、間違いがあればご指摘ください!

わたしは、5年前に行ったことがありますが、毎年様子が変わっていくみたいですね。

ちなみに日本語のWWDCガイドには、以下のようなものがあります。

WWDCのススメ(2010年)

WWDC参加の心構え(2010年)

WWDC初心者ガイド 2010年版 (2010年) なんと2010年版の日本語訳がありました。こっちのほうがシンプルでよいかも。

WWDC 参加方法 – 初めての海外旅行で行ってきたよ!(2011年)

WWDC参加者のためのSan Franciscoガイド: 事前準備編(2012年)

それでは、ちょっと長いですけど、どうぞ!

続きを読む WWDC 2013まで残り1ヶ月。「はじめてのWWDCガイド」2013年版日本語訳をどうぞ。

「鞆の津ミュージアム」で考えたこと

2012年5月26日に、福山市の鞆の浦に「鞆の津ミュージアム」が開館しました。ふるい蔵を改装した素敵な建物で、入口で靴をぬいで展示室へ入る異色の美術館です。

鞆の津ミュージアムは、「アウトサイダー・アート」の美術館として開館しました。プロの芸術家ではない人びとが作るアートを、アウトサイダー・アートやアール・ブリュット、生の芸術と呼びます。彼らは、芸術界の評価や金銭的な報奨を目的としているのではなく、自らの表現欲求にしたがって「作品」を作っています。こうした作品には、とてつもない集中力が感じられたり、人間業とはおもえない細かい技法に目をうばわれるものが数多くあります。これまでは見捨てられていたこうした作品のなかから佳作を発掘し、展示や販売されることも増えています。ただ、鞆の津ミュージアムの企画は、単なるアウトサイダー・アートの展示や啓蒙ではなく、アウトサイダーをとても広く定義しているようです。また、とかく高尚にみられがちなミュージアムという制度をゆさぶる意図もこめられているように感じます。ここでは展示の具体的な紹介は省略しますので、ぜひ展示をご覧になってください。

5月27日、出展作家のひとりである都築響一さんのトークを聴きました。都築さんは、アウトサイダー・アートの業界からも見放されている、さらに外側にあって普段もっとも低く評価されている表現や人びとを次々に紹介していきました。たとえば、展覧会でも展示されていた「おかんアート」。全国のお母さん、おばあさんたちが、家でコツコツつくり、お茶の間を飾っているアマチュア民芸品のことです。キューピー人形の手作り着せ替え服や、カラー軍手、チラシの紙などでつくられたかわいい小物たち。ちなみに、これらの作り方のノウハウは人から人へ広まって、地方色はなく全国的に同じものが見られるそうです。また、チェコのミロスラフ・ティッシーは、なんとカメラを自作し、女性の写真を撮って世界的評価を得ました。撮りたいという強い気持ちさえあれば、紙筒と老眼鏡でもカメラは作れる。だれの評価もかえりみず、ひらすら作りつづける素人表現の力強さを前にすると、世間の評価を気にして一点主義に傾くプロ意識がなんと小さく見えることでしょうか。都築さんの「最新の機材を語ってる奴らが一番のバカ」という指摘のまっとうさに、おもわず唸ってしまいました。

ところで、この前日の5月26日、尾道のJOHNバーガー&カフェで開かれた「Let’s Film Flestival」というチャリティー上映会におじゃましました。この上映会にエントリーする作品には、ルールがありました。作中に入れるべき「小道具」と「場所」と「台詞」の3つの要素があらかじめ決められているのです。どこでその要素が出てくるのかは、作品を観るまでわかりません。まるで落語の三題噺をきくようなたのしさがありました。上映された作品には、既存の音楽や映画をミックスしたり、映像編集ソフトのエフェクト機能を多用したりしていて、「映像作品」の一般的な規準に照らせばダメなものもありました。でも、みんな実に楽しそうに作っているんです。観客にも作り手の楽しさが伝わってきて、笑いのたえない上映会でした。これは、商業的な映画祭も芸術的な上映会も目指さない、自分たちによる自分たちのための映像制作と上映会です。こういった作品やイベントは、たんなる「内輪受け」だとされて、プロの作家や批評家の評価はもらえそうにありません。映画館で上映されるレベルのフィルムは、もちろん万人に受けます。でも、自分たちの楽しさのためにつくる「アウトサイダー・フィルム」があってもよいんですよね。

さて、鞆の津ミュージアムができた鞆の浦は、不思議な場所です。瀬戸内のふるい港町の街並みが残った観光地ですが、ながい年月にわたって架橋問題で揺れている町でもあります。鞆行きのバスの車窓からみた道中には、「鯛網」(伝統漁業の観光イベント)と、「埋立て架橋推進」の幟(のぼり)が、それぞれの色を打ち消しあうように隣りあっていました。この町は、観光客を呼びたいのか、観光地であることを捨てたいのか、どちらなのかはっきりしません。あるとき、観光で町歩きしていると、住民からちょっと冷たい視線を感じたことがあります。どうもここでは、外部の人間を歓迎せず、日常生活の邪魔者として扱う人もいるようです。

これは決して悪口ではありません(鞆の観光でがんばっておられる方にはごめんなさい)。むしろ、次のような好意的な解釈もできます。鞆の浦は、商業的なプロデュースに長けた今どきの着飾った観光地とはちがって、洗練されすぎていない素朴な町の風情が残っているのです。観光地然としている有名な地の住民は、観光客へのフォローをつねに心がけてるある種の「プロ」です。しかし完全に観光地であることを受け入れていない鞆の人びとは、訪れる観光客にやすやすと迎合することなく、ふだんの穏やかな生活を優先しているのです。こう考えると、鞆の人たちは、「プロ観光地住民」の対極に位置する「アウトサイダー」であるといえます。

つまり、鞆の浦の人びとは、観光地で「お客様」として接遇されるとおもっている「消費者」の期待に同調することなく、はねつけているのです。こうした人びとの気質こそが、鞆の浦の観光客にちょっとした違和感をあたえているのではないでしょうか。彼らの「アウトサイダー」っぷりから、当初わたしは、鞆の浦をネガティブにとらえていました。ところが、さいきんは見方が変わってきています。鞆の浦は、ただの観光地を目指してほしくない。日本でも貴重な「アウトサイダー」であってほしいと願っています。観光地であることを過剰に意識しない「アウトサイダー」の土地に、アートであることを意識せずに表現されるアウトサイダー・アートの美術館ができたことは不思議な縁としかおもえません。これから起こる地域の人びととミュージアムの化学反応がたのしみです。

そうそう開館にあわせて、福山大学の学生たちが、このミュージアムのCMをつくりました。CMを見てもなんのミュージアムかさっぱりわからない(笑)衝撃のCMなので、ぜひ実際のミュージアムへ足を運んでみてください。