室井尚さんのこと

あれは、横浜トリエンナーレ2001のすこし前のことだったとおもう。美学者の室井尚さんの集中講義をIAMASで受講した。

室井さんは横浜トリエンナーレの参加アーティストとして、横浜のランドマークのひとつ、インターコンチネンタルホテルに巨大なバッタのバルーンを壁に貼りつけるという(椿昇+室井尚《インセクト・ワールド 飛蝗(ひこう)》2001)。資金調達が追いついていないから、みんなからの募金を募るといっていた。いま振りかえれば、クラウドファンディングのようなものだ。彼は、あかぬけたビルにバッタをつけるという奇抜なアイディアに全力で、作品の企画と実現にかける並々ならぬ情熱を感じた。

授業は、横浜トリエンナーレつながりで、現代美術の話題がおおかったようにおもう。いまも記憶に残っている言葉がある。こんな感じだった。

「現代美術の世界では、超有名なアーティストばかりが活躍し、流行の作家で入れ替わり立ち替わり登場する。まるでポップミュージックのヒットチャートのようじゃないか」

それに続けて、「それでいいのか。美術とはそのようなものでいいはずがないだろう。資本主義の波に飲み込まれたものは、もう美術ではないのではないか」──と、こんなことまでおっしゃっていた気がする。(20年以上まえのことで記憶があいまいだ)

ときは変わって、2022年3月。吉岡洋さんの退職記念トークイベントにオンラインで参加した。ゲストで登壇した室井尚さんの言葉がやはり記憶に残っている。とにかく吉岡さんをほめまくるのだ。「吉岡さんは、みんながおもっているよりもずっとすごいんだ」。学生時代の出会いのエピソードから、後輩の吉岡さんを尊敬していることがよくわかる。面前でこれほどほめる人をはじめてみた。強い友情を感じた。

直接の面識はないけれど、いつも大きな熱意を感じた方だった。ご冥福をおいのりします。(700字・20分)

余計なお世話の日

子のメガネをつくりに、眼鏡店へ処方箋をもって家族で出かけた。

その店は、地域に古くからある眼鏡専門店だ。眼科医によれば保証が長くおすすめらしい。Googleマップの口コミでは、接客が丁寧だとずいぶん評判がよい。

たしかに丁寧な接客だった。物腰の柔らかい初老の店員は、あれこれ試す私たちを辛抱づよく見まもっていた。商品を決めたら、カウンターへ案内された。そこで説明を受けたのが、眼鏡店ではお決まりの、レンズのバリエーションの紹介とグレードアップの勧めだ。ベーシックなものが8,000円台で、次に安い非球面・UVカットレンズは16,000円台だった。最高グレードは3万円台だったかな。差額の大きい価格表だった。

まだ度は強くないのでベーシックのレンズにする。店員は、やや意外そうな顔を見せて、妙な間を空ける。「度数変更の保証はついていますけど、同じグレードのレンズにしか交換できませんよ」と釘を刺してくる。かまわない。店員は、内ポケットから小さな電卓をとりだし、紙片にフレームとレンズの価格の合計を書きこんだ。そして、眼科医の処方箋持参の割引として、それなりに大きい金額が引かれる。合計31,800円。割引メニューは明示されていないので、算定の根拠がわからない。定価があってないような世界だ。

眼鏡の仕上がりは数日後になるという。急いではいないので、来週末に引き取りに来ることにした。ここで、若手の店員がわざとらしく割り込んできた。

「もしかして、お急ぎですか。いま調べたところ、ひとつ上のグレードのレンズはちょうど在庫がありました。それでよければ、30分でお作りできますので、この場でお持ち帰りいただけますよ。お値段は、割引して35,000円にさせていただきます」

もちろん断った。なんという白々しいウソで固めたセールストークをするのだろう。そもそも、私たちは急いでいないのに、余計なお世話だ。この店はこんな不誠実な手を使ってまで客単価を上げたいのかと驚いた。客を騙すようなあこぎなことをする店とは思っていなかったので、余計に裏切られたような気分になる。割引額も明朗ではなく、不信感が増す。店内で怒りの声をあげそうになったが、他の客もいるので口をつぐんだ。気分的にはキャンセルしたいが、もう注文した後なのであきらめた。

店を出てから、妻にそのことをいうと、いまからキャンセルするといって店に電話してくれた。電話をとった店員は、理由も訊かずにキャンセルを受け入れたという。妻はこんなことを言う。

「あなたの思ったことは正しいから、店内で反論すればよかったんじゃない?」

結局、チェーンメガネ店で、3分の1の値段のメガネを即日つくってもらった。こちらの接客も丁寧だった。

さて、これも同じ日の出来事である。家族で、ちょっとした観光地を訪ねた。道中で、父親と2歳くらいの小さな女の子にすれちがった。女の子は、歩きながら大きな串団子をほおばっていた。妻は、「幼児割りばし死亡事件」を思い出し、女の子の父親に近づいて、くれぐれも注意してほしいとわざわざ言っていた。

妻は、見て見ぬふりはできなかったようで、「わたしも、ついにおせっかいおばさんになってしまったわ」と笑う。彼女の行動も眼鏡店の店員とおなじく、余計なお世話だったかもしれない。しかし妻の忠告は正直な正義感によるもので、嘘偽りはない。女の子の父親にも感謝されたようなのでよかった。
(1302文字・29分)

顔の見えない受刑者に感情移入できるか 映画『プリズン・サークル』砂絵アニメーションの力

この記事はpotariにも掲載しています。potariでは写真が掲載されています。

2020年1月、ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』の公開がはじまった。わたしはこの映画のクラウドファンディングの支援者であり、監督の知人でもある。つまりこの記事は、まったくの第三者による映画のレビューではなく、応援記事であることをおことわりしておく。

『プリズン・サークル』は、島根県の刑務所で唯一おこなわれている受刑者同士が対話する更生プログラムを描いたドキュメンタリー映画。犯罪者をどのように処遇すべきなのか、犯罪へいたる背景は何なのか、犯罪者は更生できるのか、見るものに多くのことが問いかけられる。同時に、自分の経験を振りかえり、ひいてはわたしたちの社会のあり方をも考えさせられる。

この記事では、映画の要素のひとつであるアニメーションを紹介したい。以下の内容は、公開初週に開催された、坂上香(監督)と若見ありさ(アニメーション監督)のアフタートークの内容をもとにしている。

『プリズン・サークル』は、ドキュメンタリーでありながら、はしばしにアニメーションが挿入されている。坂上は、アニメーションをとりいれた経緯を語った。法務省の判断で、登場する受刑者の顔が一切出せず、ぼかし処理せざるをえなかった(ぼかし処理だけで数か月かかったという)。もっとも伝えたい人間の表情を消されてしまい、ドキュメンタリーとして成立するのか危ぶまれた。その問題をのりこえるため、彼らが語る子ども時代のエピソードを、なんとかビジュアルで見せる方法を考えていたとのこと。そんななか、アニメーション作家の若見と出会って意気投合し、はじめて共同制作することになった。

坂上が編集したシーンにあわせて、若見が砂絵によるアニメーションを制作した。砂の絵は青みがかった色調とセピア調とがある。柔らかくやさしい絵のトーンと、暴力やいじめ、虐待、ネグレクトなどの体験を語る声にはギャップが大きく、最初はたじろいでしまう。

アニメーションの制作期間は、およそ2か月強という短期集中である。毎日9時間かけ、ガラス板にのせた砂粒をすこしずつ動かし1コマずつ撮影していく。もし制作中に、地震が起きたりして予期せず砂が動いてしまったら、シーンの最初からつくり直しだ。若見は、制作にあたって、虐待に関する書籍を読みまくり、受刑者が過ごしたであろう間取りのアパートの部屋を取材したという。柔らかなタッチからは、即興的につくっていたように感じられるが、じつは綿密なリサーチを経て作られていたのだ。

結果として、この映画のアニメーションはリアリティを補う添え物どころか、重要な要素になっている。映画の舞台は基本的に刑務所のなかだ。無機質な建造物を背景に、蛍光灯のあかり、プラスチック製の椅子など。どちらかといえば、のっぺりとした画がつづく。みな丸坊主の男性受刑者たちの顔や表情は隠され、彼らの感情をつかみきれない。そのなかではっとするのが、ときおり挿入される刑務所の各所と島根県浜田市の四季の風景。そして、アニメーションだ。

砂絵のアニメーションは、映像としての情報量がけっして豊富ではない。しかしその特性がかえって観客の想像をふくらませている。この映画のきびしく制限された映像に、アニメーションがイマジネーションの翼を与えているのだ。一粒の砂はだれかの涙のようだ。まだらに散らばる砂のかたまりは、恐怖に震える人の鳥肌のようでもある。あるときは、一粒一粒の砂が一人ひとりの人間に見えた。環にそってならぶ砂粒は、まるで受刑者たちがつくる人の輪、サークルのようだ。それに砂粒が動いているということは、それを動かすアニメーターがいるということでもある。砂絵を見ながら、アニメーターの存在や手触り、息づかいまで伝わってきた。

『プリズン・サークル』は上質なドキュメンタリーであり、すぐれたアニメーション作品でもある。あのアニメーションなくして、顔の見えない受刑者に感情移入できるだろうか。その答えは、ぜひ自分の目でたしかめてほしい。

最後に上映情報をお知らせ。九州では、KBCシネマ(福岡市)、シアターシエマ(佐賀市)、Denkikan(熊本市)で上映予定。劇場公開時でないとなかなか見ることができない映画になりそうなので、ぜひ劇場で。

『プリズン・サークル』公式サイト
https://prison-circle.com/

ふたたび熊本

2016年10月に熊本へ。熊本地震から半年。

雨がふるなか熊本市中央区の住宅街を散歩した。応急危険度判定の紙が貼ってある。ところどころの家の屋根には、ブルーシート。道をあるけば、黄色い「要注意」や、赤い「危険」の紙が貼ってある家屋やマンションがそれなりにある。

赤紙が貼られたある家では美容室が営まれていて、屋内ではいつものように仕事をされていた。赤紙ははがせないのだろう。自宅に「危険」だとラベルを貼られてしまう気持ちを考えるといたたまれなくなる。半年たって熊本市内がこのような状況だったとは思いがいたらなかった。

震源にちかい益城町では、がれきが積まれたままで震災直後とほどんど変化していないそうだ。時間がたつにつれ熊本地震は風化しつつあるが、回復までには相当の時間がかかりそうだ。

(今回も写真を撮る気にはならなかった)